2012年05月03日

大体あなた、今いくつ?

 早朝の薄明かりの中、雨が降り続いている。せっかくの休日も一日中家で過ごしてしまいそうだ。

 先日の夕方、コンビニで昭和プロレスの特集が載っている週刊ポストを買い、珈琲でも飲みながら読もうかと喫茶店を探す。細い路地裏にこじんまりとした店が新しくできていたので入ってみた。雑誌を読みながらぼーっと過ごしていると、そのままバー営業になったのでビールを頼む。カウンターで近くに座っていた30ぐらいの女の人に話しかけられ、店主と三人で雑談する。昔バンギャをやっていた話とか、accessのライブに行ってきた話とか。どうやら今は不倫をしているらしく、一番は嫌、その人の二番目ぐらいがちょうどいいと語っていた。その後一緒に店を出て、妙な雰囲気もあったのだが、それ以上は踏み込まずに随徳寺を決め込んだ。興が乗らなかったのだ。それからもその店にはちょくちょく通っている。

 珍しい文庫が入りましたよ、と同僚が教えてくれた。つげ義春の『流れ雲旅』である。早速つけた値段の半額で売ってもらう。『つげ義春とぼく』がすごくおもしろかったので、この人の本はすべて買おうと常に思っていたのだ。なんでもない旅行記なのに死とエロスがモヤモヤと背後に漂っている。業というものなのだろうか。絵は多いがつげの文章は少ない。

 二人を親娘と判定したのは、丁度ぼくと一緒の小屋に泊まっていて、二人の会話から察すると、娘さんは子供ができないらしく、嫁いだ先から実家に帰されたようで、それで父親に連れられて子宝に特効のある子宝の湯で療治しているということらしかったが……。その娘さんは浴槽のふちにきちんとすわり、おじいさんは桶でお湯をすくい、「ハッペッタン」「ソレペッタン」とかけ声をかけながら娘さんの腰のあたりにお湯を叩きつけていた。 つげ義春『流れ雲旅』


 電波曲、電波ソングというと皆眉をしかめるかもしれないが、実は50年代、60年代初期のポップスとの類似点も多い。ロリポップとかサーフィン・バードとか完全に電波曲でしょう。なんでこんなことを思ったかというと、アン・マーグレットのバイ・バイ・バーディーを聴いたときに、何故か瞬時にオレ達のテーマ曲『願い、明日、夢』が思い浮かんだからである。我々は電波曲からポップスに潜む狂気、時代の匂いを感じ取らねばならない。



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2012年04月25日

心ぬるぬる

(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!
で今年は始まったなと言う感じ。アニメ自体は特に可もなく不可もなくといった感じだけど。「いっきものじゃなーい」がハイライトか。CD発売前にみんな飽きてしまいそうな流れ。(」・ω・)」心ぬるぬる!(/・ω・)/異形の神々!




「山吹や葉に花に葉に花に葉に」 炭太祇

蕪村の盟友だそうです。はにはなにはにはなにはに。実に洒落ている。


「おのが身の闇より吠えて夜半の秋」 蕪村
「愚に耐えよと窓を暗くす竹の雪」 蕪村

中二病的な暗さと熱さが素敵。


「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」 久保田万太郎

68歳の時に家を捨て赤坂で女と同棲生活に入った万太郎。その5年後、女が死んだ後の句。すべてを失った喪失感、脆さが溢れ出ている。


「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」 桂信子

蛍出てるし、いい雰囲気になりそうだから胸元でも開けていっちゃおうかな。という甘酸っぱさ。リラックスしたいい付き合いながらも、蛍の夜という幻想的な儚さが切なくもある。


「誰が為の低き枕ぞ春の暮」 蕪村

昔、女の人と一緒に枕代わりのクッションをドンキホーテに買いに行ったことを思い出す。いったいどういうつもりだったのか。


ロバート・A・ハイライン『夏への扉』を読んだ。名作SFだけど今読むとそれほど刺激的ではない。でも、それを抜きにすれば爽やかで余韻は心地良い。猫のピートが大活躍。

 彼は、その人間用のドアの、少なくともどれかひとつが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。これは、彼がこの欲求を起こすたびに、ぼくが十一ヵ所のドアをひとつずつ彼についてまわって、彼が納得するまでドアをあけておき、さらに次のドアを試みるという巡礼の旅を続けなければならないことを意味する。そしてひとつ失望の重なるごとに、彼はぼくの天候管理の不手際さに咽喉を鳴らすのだった。
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『謎の彼女X』の魅力
・絵が古くさくて親しみやすい。我々が慣れ親しんだアニメの画だ。
・音楽が良い。細野の「銀河鉄道の夜」のような感じ。
・演出が良い。モノローグが適度で実に自然。
・涎は何かの隠喩なのだ。でもその隠喩は何か明確なものを指しているわけではない。それがわからないところに恋愛の本質があるのだ。久々に真面目な恋愛アニメ(漫画)に出会った。涎という絆を築けるかどうかだったのだろう…






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2012年04月04日

たまにゃあ まあいいさ

うえお久光『紫色のクオリア』

 自分以外の人間がロボットに見えるという紫色の瞳を持った少女。その少女を巡って起こる物語。読み始めた時にはまったく想像できない展開。光はどんな障壁があろうとも、もっとも時間のかからないルートを通る。それはまるで光が最短の道を最初から知っているかのように見える。だが、光はたどることが可能なすべての経路を同時にたどっていて、最小時間以外のルートはお互いに干渉して打ち消しあい、その結果もっとも時間のかからないルートを通っているように見えるのだ、と量子力学では考えられている。一人の大切な友人をを救うために、平行世界の中で幾人もの他人を殺し、幾人もの自分が死ぬ。目的のためにすべてを試すその孤独な戦いの果てに待つものは…

 「たとえ同じりんごを見ていても、あたしとゆかりはそれぞれ違うものを見る。あたしはそれを知っている。でも、ただ知っているだけで、実際にゆかりにどう見えているかはわからない。同様に、ゆかりにも、あたしにどう見えているかわからない。あたしたちはお互いに、自分が見えている世界から出ることはできず、相手が見ている世界に入ることも許されない。」

 自分がこれはおもしろいと思うこと。好き・嫌いとか、おいしい・不味いとか、綺麗・汚いとか。その感覚があるから他人と完全にわかりあえることはできないのであり、またそれこそが自分という存在を決定付けているのだ。

 しかし、最近のラノベは、身近な人とどうわかりあうかという主題の本ばかり。狭い範囲でのコミュニケーションの問題こそが最も重要なテーマ。それだけみんな疲弊しているのだろう。明治〜戦前は自己の確立・追求。戦後は世界(社会)の中で自分をどう位置づけていくか。現代は身近な人との相互理解。こんな感じで小説の主要なテーマが推移している感じを受ける。


マーク・トウェイン『不思議な少年』

 これが1890年代に書かれたとは。まさに現代を予見している。というかまあ普遍性があるということか。サタンが語る人間の愚かさは、永遠に続いていくことであろう。戦争も魔女狩りもなくならない。

「いつも決って声の大きなひと握りの連中が、戦争、戦争と大声で叫ぶ。すると、さすがに教会なども、はじめのうちこそ用心深く反対を言う。それから国民の大多数もだ. . .そして、心から腹を立てて叫ぶさ、『不正の戦争、汚い戦争だ。そんな戦争の必要はない』ってね。もちろん戦争反対の、これも少数だが、立派な人たちはね、言論や文章で反対理由を論じるだろうよ. . .だが、それもとうてい長くはつづかないね。なにしろ扇動屋のほうがはるかに声が大きいんだから。そして、やがて聴くものもいなくなり、人気も落ちてしまうというわけだよ。すると、まもなくまことに奇妙なことがはじまるのだな。まず戦争反対の弁士たちは石をもって演壇を追われる。そして、狂暴になった群衆の手で言論の自由は完全にくびり殺されてしまう。ところが、面白いのはだね、その狂暴な連中というのが、実は心の底では相変らず石をもて追われた弁士たちと、まったく考えは同じなんだな――ただそれを口に出して言う勇気がないだけさ。さて、そうなるともう全国民――そう、教会までも含めてだが、それらがいっせいに戦争、戦争と叫び出す. . .あとは政治家どもが安価な嘘をでっち上げるだけさ。まず被侵略国の悪宣伝をやる。国民は国民でうしろめたさがあるせいか、その気休めに、それらの嘘をよろこんで迎えるのだ…」


室生犀星『あにいもうと』

 犀星の詩の世界から予測できない内容。ラノべの文章になれていると、その短刀を突きつけられるような表現にぶった切られる。最近の小説家もどぎつい書き方をする人はたくさんいるだろうが、ここまで悪辣な感じを表せる人はいないだろう。でも下品ではない。

ああ四月となれど
桜を痛めまれなれどげにうすゆき降る
哀しみ深甚《しんじん》にして座られず
たちまちにして街をさまよふ





幾三の実力が遺憾無く発揮されるアレンジ
posted by 徹郎 at 00:47| Comment(6) | TrackBack(0) | 普通 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月27日

夕暮れ

 子供の頃、自分がどんな大人になるだろうと考えた時、まあどうせ普通の平凡な感じになるんだろうなと漠然と思っていた。しかし現実には悪い大人になってしまっていた。悪いと言うかダメな大人だ。常に負い目がある。自分はなんて最高な人間なんだと思ってはいるが、社会的には酷いものだ。親には悪いと思っている。

 田舎の農業高校の教員住宅。冬は雪を掻き分け、1メートルぐらいのつららを舐める。庭でスキー。いつ来るかわからない幼稚園のバスを雪の中で1時間も待つ。好きな先生の髪を引っ張る。夏はミズカマキリと共にプールで泳ぐ。オニヤンマが同じコースを行ったり来たり。牛はかわいいが豚はでかくて怖い。朝は罠に掛かったネズミを川に浸して殺す。夜は公園でバーベキュー。初めて観た映画は、高校の文化祭で上映した『里見八犬伝』。自衛隊の演習場が近かったので、ドーンという音と共に窓ガラスが揺れる。待合室でテレビを観ながら妹が生まれるのを待つ。仙台のばあちゃん家から帰る車の窓から、ずっとついてくる月を見ている。

 いろいろ考えてみたのだが、少しものを作る作業に比重を移そうかなと思っている。今までは、その場その場で発散しすぎていたかもしれない。瞬間的には褒めてくれる人も多々いるのだが、うーん、まあそれも良いんだけど、もっと継続的に褒めてもらいたい気がする。垂れ流していたものを形にする作業。刹那と永遠のバランス。


posted by 徹郎 at 02:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 普通 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

ヘンタルメルス

 今月は体の調子が悪くいまいち乗り切れなかった。これだけ不調なのも珍しい。すごくおもしろいこともあったけどね。来月から盛り返したい。現メンバーにおけるバンドのやりかたも少しわかった気がする。やっぱりいろいろ試してみないとダメなようだ。失敗しないとわからないことが多すぎる。

 それゆえ最近は家に帰ってきてすぐに寝る日ばかり。今から起きるけどそれもまた夢、というような悪夢も多々あった。体がガッチガチになっていて辛い。明晰夢も中高生の頃はいろいろとおいしい思いもしたが、今さら体験してもそれほど楽しいものではない。「うつし世は夢 夜の夢こそまこと」とは江戸川乱歩の言葉。自分の死を確認した人は今まで一人もいない、というのはネット上のどこかで見た言葉。本当に死はあるのだろうか。

 もし幽霊がいなかったら、死後の世界が存在しないことになるから、そっちのほうが怖い。という話を聞いたことがある。無は怖いからね。幽霊話で眠れなくなった時にはこれを思い出して、ありがたいことだとやり過ごすことにしている。

 スペリオール連載中の「キーチvs」がまたもや佳境。前総理、経団連会長、在日米軍司令官を拉致。テレビでは子供達が政治・経済・電通などの仕組みを激論。日本で革命的なテロを起こすにはどうすれば良いかということを事細かに描いている。いろいろ規制が増えている中、これが問題なく掲載できるということは日本はまだまだ大丈夫そうだ。

 とアクエリオンEVOL見ながら書いてるわけだが、熱い、熱すぎる。もはやジンとユノハが主人公。あの夏も熱い展開だし、アナザーは佳境だしでいい感じ。もーパイは丁寧。ギルクラはうーん。BRSはもっとぐちゃぐちゃにしてほしかった。いぬぼく良い話。パパこきはひなだお!おいたんだっ、ひなだお!



これはいい曲



キターーーー



生で観たら気持ちいいだろうな
posted by 徹郎 at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 普通 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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